仕事帰りのラッシュアワー。
車の中で、ラジオか音楽を聴く。
夕焼けに向かって帰るこの時間が、私はけっこう好きです。
こうしてひとりで過ごす時間を、心地よいと思えるようになったのは、いつからでしょう。
若いころの私は、立ち止まって自分の気持ちに向き合う時間が、あまり得意ではありませんでした。
仕事は好きでした。
やれば結果につながるので、次から次へと取り組んでいました。
気づけば、自分でも止まれなくなっていたのだと思います。
当時の私には、それまでの経験の中で、抱えきれずにいた思いがありました。
今振り返ると、心が凍っていたように思います。
仕事に限らず、何かに没頭していれば、その思いに触れずにすむ。
疲れきるまで動き続けることで、当時の私は自分を支えていたのかもしれません。
自分の気持ちを受け止める力を、ここでは「心の器」にたとえてみます。
うれしさだけでなく、悲しさや悔しさ、不安も入れておける器。
すぐに答えが出なくても、その気持ちを抱えたまま、歩いていくことのできる器です。
私たちは、同じ経験をしてきたわけではありません。
抱えている思いも、今それを受け止められる余裕も、一人ひとり違います。
だから、「自分の感情を受け入れましょう」と言うだけでは、難しいこともあるのです。
穴が開いていたり、ざるのように漏れてしまったりする器では、中に入れたものを十分にとどめておけません。
心も、気持ちを抱えておく力が追いつかないと、受け止めようとするだけで精いっぱいになってしまうことがあるのだと思います。
それは、その人が弱いからとは限りません。今抱えているものが、それほど大きいのかもしれません。
感情を受け止めるためには、その感情を抱えていられる、丈夫な心の器が必要なのだと思います。
ここでいう丈夫さは、何があっても傷つかなくなることではありません。
揺れても、少しずつ落ち着きを取り戻せること。
ひとりでは難しいときに、誰かの支えを借りられることも、その力の一つだと思います。
ただ、ここで大切にしたいことがあります。
怒りや深い悲しみなど、その気持ちに飲み込まれそうなときには、無理に味わおうとしないことです。
「ちゃんと感じなければ」と、自分を追い込む必要はありません。
怒りや悲しみを感じること自体が、いけないわけではありません。
大切なのは、今の自分に、その気持ちに触れる余裕があるかどうかです。
同じ人でも、その日の疲れや、支えてくれる人がいるかどうかで、受け止められる余裕は変わります。
気持ちに向き合うよりも、まず自分を落ち着かせることが大切なときもあります。
足の裏が床に触れている感覚や、目の前に見えるものに、そっと注意を戻す。
安心できる人に、そばにいてもらう。
気持ちの奥へ入っていくことを、いったん休んでもいいのです。
器にたとえるなら、今は開けずに置いておける、しっかりしたふたも必要なのでしょう。
とても受け止めきれない思いには、いったんふたをして、落ち着きを取り戻すための距離を取ることもあっていい。
これは、つらい記憶を思いどおりに閉じ込められる、という意味ではありません。
今は無理に掘り下げず、自分を守ることを優先する、ということです。
安心できる支えが整ってから、少しずつ触れていく。
今は向き合わないという選択も、自分の心を守るために大切なことです。
まずは、落ち着ける時間や場所を持つ。
無理を重ねていることに気づいたら休む。
必要なときには、人の力を借りる。
そうした支えの中で、「揺れても戻ってこられた」という経験を少しずつ重ねていく。
私は、それも心の器を育てていくことなのだと考えています。
私も、今でも揺れます。
相手の気持ちを先回りして考えたり、何とかしようと力が入ったり。
書きながら、「これは自分自身に向けて書いているな」と思うこともよくあります。
それでも以前より、揺れたあとに戻ってこられるようになりました。
すぐに何とかしなくても、少し待てることが増えたのです。
その土台が育つにつれて、今まで認めたくなかった気持ちや、自分の一面にも、少しずつ目を向けられるようになるのだと思います。
そして、自分を受け入れられた経験が、また器を育てていく。
一度で変わるのではなく、そんな積み重ねなのかもしれません。
少しずつ、どんな自分も受け入れられるようになると、他者を受け入れることも進んでいく。
私は、そのつながりを実感しています。
自分にも、余裕をなくす日がある。
分かっていても、うまくできないことがある。
そう思えると、相手に対しても、すぐに決めつけずにいられることが増えてきました。
自分にも、人にも、やさしくなれるのですね。
もちろん、嫌なことを我慢したり、相手のすることを何でも許したりする必要はありません。
自分の気持ちも大切にしながら、関わり方を考えていけたらと思います。
心の器をどう育てていくのか。
受け止めきれない思いと、どう付き合っていくのか。
そのことも、これから少しずつ、具体的に書いていきたいです。
最近は、きれいな夕焼けを見ると、それだけでうれしくなります。
満天の星空を見たくて、街を離れ、自然のある場所へ行きたくなることもあります。
そして家には、愛犬のモカがいます。
ご飯を食べて、お芋のおやつを1本食べたら、誰よりも早く私のベッドで伸びきって寝ています。
ときには私の枕で、人間のように。
その無防備な姿を見ると、つい笑ってしまいます。
夕焼けをきれいだと思うこと。
モカの寝顔を見て、笑ってしまうこと。
そんな何気ない時間を、今はゆっくり味わっています。
過去の出来事が変わったわけではありません。
それでも、あのころの自分を、今の私は少しずつ受け止められるようになりました。
つらかった経験も、そこをくぐり抜けてきた今の私にとっては、宝物になっていると感じます。
あのころ抱えきれなかった思いが、自分や誰かを理解する手がかりになることがあるからです。
もちろん、つらさの中にいるときに、そう思おうとしなくてもいいのです。
私も、ここまで来て、ようやく思えることです。
帰り道、夕焼けに向かいながら、今日もきれいだなと思う。
こんなふうに過ごせる今を、大切にしていきたいです。
また、こころのほとりでお会いできたらうれしいです。🌿
最後に、無料相談のお知らせです。
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Controlling one’s emotions is absolutely essential, but sometimes it might be impossible, and not everyone reacts to things in the same way.
tomokoさん、
「揺れても戻ってこられた」という経験を少しずつ重ねていく、のところが好きでした。
揺れないことを目指さなくていいんだ、と思えると、肩の力が抜けますね🤍
足の裏が床に触れている感覚に戻る、という具体があるのも嬉しかったです。