あの日のぬくもり。(前編)
事業所を立ち上げて間もない頃のことです。
今から二十六年前。
私が介護の現場で、一つひとつの出来事に向き合いながら歩き始めた頃でした。
その頃、訪問していたご夫婦がいました。
奥様は四十代前半。
ご病気の後遺症で車いすでの生活を送られていましたが、おしゃべりが大好きで、いつもにこにこと笑顔を見せてくださる方でした。
ご主人は背が高く、長距離トラックの運転手をされていました。
奥様は、ご主人とのなれそめを楽しそうに話してくださいました。その話を聞くのはヘルパーたちの楽しみでもあり、私たちも自然と笑顔になるような、そんな仲の良いご夫婦でした。
仕事柄、ご主人は家を空けることが多く、その間、奥様のもとへヘルパーが訪問していました。
普段から、ご主人はとても献身的に奥様を支えておられました。
ある日、奥様の通院に付き添われたご主人が、医師から声をかけられたそうです。
「顔色が悪いようですが、大丈夫ですか。」
ご主人は、
「あざがなかなか消えなくて……」
と話されたそうです。
そのまま検査を受けることになり、ほどなくして入院となりました。
それからは、ご主人が入院されている間、私たちは一日に何度か訪問し、奥様の生活を支えました。
奥様には、ご主人が入院されていることもお伝えしていませんでした。
突然の知らせに動揺されることは目に見えていましたし、その状況を受け止めることは、とても難しかったからです。
どれくらい時間が過ぎた頃だったでしょうか。
ある日、事業所に一本の電話が入りました。
「ご主人が危篤です。」
突然の知らせに、私も動揺を隠すことができませんでした。
最後になるかもしれない面会に、私は奥様と一緒に病院へ向かいました。
面会謝絶となっていた病室へ入り、私は車いすをそっとベッドの横につけました。
そこに横たわっていたご主人は、以前とは別人と思うほど、その面影が変わっておられました。
奥様は、ご主人のそばへ近づこうとはされませんでした。
何が起きているのか、まだ状況を飲み込めていないご様子でした。
ときおり目をそらし、あちらを向かれる姿が、今も忘れられません。
私は、
「ご主人の手を握ってみませんか。」
と声をかけました。
けれど、奥様は手を伸ばそうとはされませんでした。
私は、そっとご主人の手を取りました。
その手は、思っていたよりもずっと温かくて、思わず息をのみました。
もっと冷たいものだと思っていたのです。
生きている。
こんな状況の中でも、確かに生きている。
そのぬくもりに触れた瞬間、胸の奥がどきっとしました。
あの日、手のひらに残ったぬくもりを、私は今も忘れることができません。
そして私は、少しの間、病室を出ました。
最後になるかもしれない時間を、お二人だけで過ごしてほしいと思ったからです。
病室の外で、私はただ静かに、その時間が流れていくのを待っていました。
ご主人は、そのとき何を思っておられたのでしょう。
残していく奥様のことを、どれほど案じておられたのでしょう。
その答えを知ることはできません。
けれど、あの日の病室の静けさと、ご主人の手のぬくもりは、二十六年経った今も、私の心の中に残っています。
二十六年という時を経て、ようやく心に残っていた風景を言葉にすることができました。
あの日のことは、今も私の心の中に静かに残っています。
(後編へ続きます)
いつでも、コメントでお待ちしています。🌿




tomokoさん、おはようございます。
ご主人の手のぬくもりに触れた場面が、とても心に残りました。
二十六年経っても言葉にしたいと思える出来事があること、その時間の重みを感じます。
後半も読ませていただきます。
tomokoさん、おはようございます。
読んでいて、胸がグッと熱くなりました。
医療現場で働いていると、献身的な旦那様、奥様をよくみるので、どうしても他人事には思えませんでした。
残された方の気持ちは想像し難いですが、
自分にも何かできることはないかといつも考えてしまいます。
まだ答えは見つかっていませんが、
少しでもリハビリが、サポートになればいいなと思っています。